2011年9月14日
第18回月命日先祖還元祈願礼式
毎月、ミッションセンターに通う受講生を中心に行われている、『月命日先祖還元祈願礼式』です。参加される方々は、ご先祖のために供物や手紙を準備し、精誠を尽くします。


2011年6月28日
自叙伝 心の書写のつどい
〜真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です〜


【自叙伝書写の証】
もともと持病があり、風邪をひきやすかったが、書写をするうちに気持ちがすっきりしてきて、風邪をひかないようになり、生活にはりがでてきた。(T.Oさん)
36歳で夫を亡くし、2男2女の4人の子供をかかえて、夫の両親とも一時同居して、大変な思いをしてきた。子供たちにもそれぞれ問題があったが、書写を始めてから少しずつ変化があらわれた。攻撃的な次女がやさしくなり、一緒に食事にいったり、反攻的だった次男が、母親の許可を得てから行動するようになった。自分自身も心が穏やかになってきたと思う。引きこもりの長男が自立できるように、これからも祈りを込めて、続けていきたいと思う。(I.Hさん)
2009年12月25日
脊髄の痛みが治った証し<O.Mさん>
O.Mさんは千葉県佐倉から2時間半かけて杉並教会に通っている75歳の婦人です。
生まれた当時は、家が貧しく、親から捨てられるように、祖母の所で育てられました。小さい頃から母との関係が悪く、結婚後も、二度の火事、病気、マンションや家を子供に取られるなど、苦労の多い人生でした。
ゆえに、多くの信仰遍歴がありました。ある宗教団体に、夫婦そろって住み込みで奉公していたとき、トラブルに巻き込まれ、あてもなく逃げだしました。夫は肺炎で入院してしまい、私は泊まるところもなく、東京駅のベンチで寝泊まりしました。そんな時、紹介者のKさんに出会いました。不安でいっぱいの中、Kさんに励まされ、涙ながらに祈ってもらいました。その後、三度もKさんに出会ったことから導きを感じ、悩みを相談して信仰的な指導を受けました。その甲斐あって母に対するわだかまりが消え、母も感謝しながら他界しました。「Kさんの神様を教えてください」と申し出てしばらくしてから、杉並教会のミッションセンターに、家系の整理と16講座を学ぶために通うようになりました。講座を学びながら祈願書を書いて奉納すると体が少しずつ楽になりました。
また、自叙伝を訓読して文先生の生涯に感動し、さらに熱心に通うようになりました。
私は50年前の火事の時に脊髄がずれてしまい、長年脊髄の痛みに苦しんできました。医者からも「これ以上悪くなると体が動かなくなる」と言われていました。
年末年始は講座が休みになるので、その期間に自叙伝と祈祷集「父の祈り」を訓読する精誠条件を立てることになりました。小さい頃からの親子関係ゆえに、親なる神様が実感できないので、「神様が実感できますように」と祈願書に書きました。奉納の儀式中、主礼が「父の祈り」を訓読し、その間、黙祷していると、霊眼が開け、私の体が骨と神経だけになり、「ぐるぐるごきごき」と何かの力に激しく動かされ続けました。このことを隣の婦人に伝えようとしましたが出来ませんでした。この動きが終わったとき、気がつくと脊髄の痛みがスッキリと取れていました。
長年苦労が多かったのですが、今回のことで親なる神様の愛を実感することができました。
2009年7月16日
通っておられるご婦人の証し<N.Yさん>
杉並ミッションセンターに通い始めて約3ヶ月。はじめは神様とか霊界とか、わからないことが多かったのですが、親切・丁寧に教えてくださり、徐々にですが神様と私の結びつきが親子の関係であることがわかってきました。私はふとしたことから家族の関係が近くて遠い存在になり、もどかしくもどうしようもなく、つらく嘆息の日々を送っておりました。しかし学びを通しその心情は、家族(子女)と疎遠になった悲しみの神様とまったく同じ気持ちであることがわかってきました。
こちらで学ぶ文鮮明先生の教えに従って日々家族のこと、ご先祖様のことを神様に祈っていくなかで、神様はついに私の願いを聞き入れてくださったのです。今は更に家族の絆が強く豊かになるように、神様の願いにそえるように学んでおります。
文鮮明先生のみ言
私達は自分だけの幸せの為に神様をたずねたのではありません。
神様が私たち人間の親であることを知りその神様が悲しみのお方であることを知った時から自分だけの喜びをすてて親なる神様をなぐさめたいと決心したのです。
今あなたの心がその出発の動機からはずれていないかをたしかめなさい。
神様は常にあなたのことを愛しておられます。
ですから、あなたは神様に愛された分だけ多くの人に尽くしてあげなさい。
人の和は、与えることによって大きく広がっていきます。


