世界平和統一家庭連合(旧 世界基督教統一神霊協会)

杉並家庭教会

Family Federation For World Peace and Unification

野外礼拝での清掃活動 

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天暦3月19日(2013年4月28日)

  徳野英治会長御夫妻をお迎えしての特別礼拝 

 徳野会長が会長に就任後初めて、杉並教会で御夫妻を迎えての特別礼拝がもたれました。

20年前に杉並教会長として歩んだ後、どのような歩みをしてきたのかスクリーンに映し出された世界地図を示しながら、笑いあり、涙ありの説教をされました。

 

花束 徳野会長の説教 徳野夫人のメッセージ

  

訓読:【原理講論】 「再臨論」より

  イエスが再臨される韓国は神が最も愛される一線であると同時に、サタンが最も憎む一線ともなるので、民主と共産の二つの勢力がここで互いに衝突しあうようになるのであり、この衝突する一線がすなわち三十八度線である。すなわち、韓国の三十八度線はこのような復帰摂理によって形成されたものである。

  神とサタンの対峙線において、勝敗を決する条件としておかれるものが供え物である。ところで、韓国民族は天宙復帰のため、この一線におかれた民族的供え物であるがゆえに、あたかも、アブラハムが供え物を裂かなければならなかったように、この民族的な供え物も裂かなければならないので、これを三十八度線で裂き、「カイン」「アベル」の二つの型の民族に分けて立てたのである。したがって、この三十八度線は民主と共産の一線であると同時に、神とサタンの一線ともなるのである。それゆえ、三十八度線で起きた六・二五動乱(韓国動乱)は国土分断に基づく単純な同族の抗争ではなく、民主と共産、二つの世界間の対決であり、さらには神とサタンとの対決であった。  

天暦2月27日(2013年4月7日)

 説教『生活実践を通して氏族的メシヤを勝利しよう 』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第五章 思春期の変化と真なる結婚

 二 なぜ結婚するのか

   男性は女性を探すために生まれ、女性は男性を探すために生まれました。女性と男性は二人合わせて、より次元の高い神様の愛に接するために生まれました。一人ではその愛に触れることはできません。一人で接してもそれは一方的なのです。立体的で球形的な愛に接することはできません。それゆえ、男女がより高い次元の立体的な愛の圏内にジャンプするために結婚するのです。

  本然の世界にあっては、男性と女性が一つになればなるほど、その力の作用においては偉大な中心が生じ、球形になるのです。横的に連結されればされるほど、縦的な力の愛の母体が連結されて入ってくるというのです。そこにおいて心と体が一つになるのです。

  結婚はなぜするのですか。天国へ行くために役に立つから、そうするのです。なぜなら、天国には結婚をしなければ行くことができないからです。それゆえ、天国へ行く資格者になるためには結婚をしなければならないのです。天国へ行く資格とは何でしょうか。神様に似ることです。どのようにして神様に似るのでしょうか。神様のみ言を実践する人になることです。神様の愛を「私」の愛にすることであり、神様が語る言葉を「私」の言葉として語ることができればいいのです。

  それゆえ、「私」は神様に代わり世界に向かって、「人類よ、お前は天国に行かなければならない」と言うのです。その次には「天国に行くためには神様のように『私』が人類を愛して連れていく」、となればよいのです。そういう人は、神様の人であり、天の側の人であり、天国へ行くことのできる候補者だといって間違いないのです。このようになるときには、結婚する資格が整うというのです。さあ、結婚はなぜするといいましたか。天国に行くために、そして人類のためにです。

  男性の前にいるその女性は神様の娘であり、人類の女性を代表した娘であることを男性たちは知らなければなりません。人類が愛する女性として愛することができ、神様が愛する娘として愛することができれば、夫になる資格がありますが、そうでなければだめです。女性はその反対です。「あれは『私』の夫である」と考えてはいけないというのです。「私」の夫であるという前に神様の息子であり、人類の男性を代表した男性であると考えなさい。

天暦2月20日(2013年3月31日)

  西東京教区 VISION2020 勝利 特別合同礼拝 

 基元節を越えた3月より新教区長を迎えたこともあり、3月31日にVISION2020勝利と題して、西東京教区の特別合同礼拝が武蔵野市民文化会館にて行なわれました。

第1部は、West Youth Choir によるエンターテイメント。

第2部は、五十嵐教区長の説教の中で「愛天・愛人・愛国」み言の実体となって氏族的メシヤを勝利しよう!と今後2020年までの伝道方針が語られました。

開場前 エンターテイメント エンターテイメント

五十嵐教区長の説教 各教会の決意表明 み旨の応援歌

億万歳 億万歳 記念撮影

  

天暦1月29日(2013年3月10日)

 五十嵐 政彦 教区長 就任礼拝

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第五章 創造本然の男女の愛

 五 異性間で愛の調和を成せば

  男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が一つになって調和しなければなりません。男性と女性は互いに異なっています。男性の筋肉はごつごつしていて、女性のは滑らかです。男性はひげが生えますが、女性はひげが生えません。声も違います。男女を比べてみると相対的に釣り合っています。調和がとれているのです。人間という肉的構造を見るとき、左右に相対的です。半々をぴったりとくっつけたからです。

  皆さん、高いだけあるいは低いだけでよいですか。調和を成すのがよいのです。水平線を中心に下には魚が住み、上には哺乳類、鳥類などが住んでいます。女性は一月に一度ずつ生理が生じます。月を中心にして潮が満ち引きするように、女性も同じです。呼吸作用と同じです。男性と女性が調和して平行線にならなければなりません。

  昇ったり降りたり回ったりする各種施設のあるディズニーランドを、人々がなぜ好むのかといえば、宇宙がそうだからです。男性だけで和動するのと、男性と女性が和動するのでは、どちらが気持ちよいですか。男性と女性が和動するほうがよいのです。宇宙がそうだからです。宇宙が陰陽の調和を成して和動するから、人間が拍子をとらなければならないのです。

  異性間にあって愛の調和を成せば、一つの円形運動をするようになります。異性が愛で一体となって愛の実を結ぶようになれば、神様は降りてこられ、人間は上っていくようになり、中央で出会うようになります。神様はこの円形の求心点となり、球形運動が行われるのです。求心点から四方どこでも通じることができるのです。その求心点は愛の調和が成される所であり、生命が胎動する場であり、平等主義と共同主義の始発点なのです。そこには愛の力があるからです。ですから、宇宙のすべての作用と包容する力は愛なのです。

  人間において愛は永遠なるものであり、二つではなく一つです。男性と女性の間が愛で結ばれれば、地上で夫婦が年を取るまで仲良く連れ添わなければならないし、死んでも永遠にともに生きていくようになっているのです。体は二つですが、一つとなって回転することによって、一体化するのです。

天暦1月22日(2013年3月3日)

 趙 成旭 教区長 離任礼拝

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第五章 創造本然の男女の愛

 四 愛は相対から来るもの

  愛は一人では成されないのです。愛はどこから出てくるのですか。「私」から出てくるのではなく相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「為に生きる」という天理が、ここから生まれるのです。極めて高貴なものが「私」のところに訪れるのに、それを受け入れようとするなら、それを尊く思い、敬わなければならないという「為に生きる哲学」を確立しなければならないのです。

  人には愛があります。しかし愛というのは、「私」 一人では現れません。男性が一人いるときには、愛は現れません。男性の前に相対的な女性が現れてこそ、愛が生じてくるのです。このように相対が現れて初めて、愛が生じるのです。

  父母の愛が素晴らしく、夫婦の愛が素晴らしいというとき、本当の愛は自分を中心とした愛ではありません。愛というのは、「私」から始まるのではなく、相対から始まるのです。皆さんはこれを知らなければなりません。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。愛は自分一人から始まるのではなく、相対から始まるのです。それゆえ、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人となるのです。

  愛はどこから出てくるのでしょうか。相対から現れるのです。相対が醜くて憎ければ愛も後退しようとするし、相対がきれいで好ましければ、愛の作用もその分早くなります。相対の言語、美、香り、味など、相対の要素によって愛の作用が決定されるようになるのです。

  愛の根拠地はどこでしょうか。愛の根拠地は「私」ではありません。愛という名詞は相対的観念からいうものです。相対がいなければ、いくら美男子であっても一人では愛することができないので、だめです。愛の根拠地は「私」ではありません。愛は「私」からだというのは、サタンが今まで利用してきた言葉です。愛の根拠地は「私」ではありません。愛の根拠地が自分だと考えますが、これを残らず改めなくては、歴史を変えることはできません。今まで夫人は夫人なりに自分が中心であり、夫は夫なりに自分が中心だから私のために尽くしなさいというので、破綻が生じたのです。

天暦1月15日(2013年2月24日)

 天地人真の父母様天一国即位式  天一国基元節入籍祝福式

「基元節の意義」より抜粋

   「基元節」は神様が真の父母様の体を使って結婚式をする日であり、神様の家庭と神様の祖国が出発する日であり、実体的天一国の始まる日です。神様の結婚式は、人類史上最大の祝い事であり、いかなる王様の記念日よりも、いかなる大統領の結婚式よりも素晴らしいものにしなければなりません。そして同参した氏族が入籍し、解放の日を迎えることができるのです。

  「皆様、今日、私達が生きているこの時代は、歴史的な大革命期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国を創建しなければならない大革命期です。これ以上、延期するとか延長する時間がありません。2013年1月13日を“基元節”として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日が正に、その日なのです。」

  「基元節」は堕落後の復帰の概念ではなく、堕落以前のエデンの園を中心とした言葉である。アダムとエバがエデンの園で堕落せず、個性完成して、神の実体として「聖婚式」を挙行すべきであった。

  真の父母様の結婚式(第三次「聖婚式」)は歴史以来どのような王の記念日よりも十倍、百倍、万倍の精誠を尽くすことの出来る準備をしなければいけないのです。真の父母になるまで苦労したすべての道を忍耐して来られた神様がどれだけご自身のお妃を望まれたことか。どれだけ結婚させてくれることを望まれたことか。

 (待っていた歳月が)幾千年、幾億万年です。

天暦12月9日(2013年1月20日)

 連合食口礼拝(インターネット)

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第五章 創造本然の男女の愛

 一 創造本然の男女の愛

   神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛し合うことができるならば、それは最高の愛であり、超越的な愛であって、世俗的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中でも代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。

  男性と女性が愛し合っても、それが神様が立てようとされたみ旨と一致するか、また神様が人間に願われたその基準と一致するかが問題となります。男性と女性が愛し合うとき、神様が考えられるモデル的な愛と一致するかということです。

  神様を中心として最初の男性と女性が愛で一つになったならば、それは、愛を中心にした宇宙のモデルになったという結論が出るのです。神様も人間の前にそのような愛を願われたのです。男性と女性も互いに相手に対し、そのような愛を願ったのです。そのような真の愛は、宇宙の核であらざるを得ません。メートル法と同じ一つの標準型になるのです。

  神様の愛と人間の愛は本質的に同じです。愛は一つになろうとします。男女が互いに恋しがる理由は何でしょうか。男性は女性、女性は男性を通してのみ神様を所有することができるからです。男女が愛で一つになる所に必ず、神様が臨在されるのです。

  二性性相の母体が神様であることを考えるとき、男性と女性の尊厳なる価値をほめたたえると同時に、神様の尊い価値を一層ほめたたえることができる人にならなければなりません。

  男性の心の中には神様が愛しておられる女性がおり、彼の相対である女性の心の中にも神様が愛しておられる男性がいて、共にたたえるようになる場合には、神様もそれを見て喜ばれるのであり、すべての万物も互いに喜ぶようになるのです。彼らが互いに抱擁する喜びの内容が、天と地が共に喜ぶ価値ある内容になります。男性と女性が互いに愛し合い抱擁するそのこと自体が、宇宙が一体となる場となるのです。神様の理想の中で成される創造本然の姿はそういうものなのです。

天暦11月25日(2013年1月6日)

 宋榮渉総会長インターネット特別礼拝  説教『基元節創建の公人となろう』

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第四章 愛を中心とした人生行路

 七 三時代を行く人生路程

   人間は、お母さんのおなかの中にいてから生まれ、一定期間を地上で生きてから死を迎えるようになっています。人間はこの世に生まれる前には、お母さんのおなかの中で十ヵ月を過ごします。

  おなかの中にいる時、幼い胎児の自由には限界があります。彼はお母さんの栄養をへその緒で引いて育つとき、二本の手を伸ばしたり引っ込めたり、口を開けたりつぽめたりしました。二本の足でばたばたするのが精一杯です。しかし、その胎児には、お母さんのお腹の中が自由天地であり、生の全領域であることでしょう。

  その胎児は十ヵ月目にこの世に生まれて育つようになりますが、それ以後の世界が今日私たちが生きている現在の地上世界であり、人間社会なのです。

  人は、なぜ生まれたのでしょうか。愛のために生まれました。それゆえ、真なる父母の愛に根を張り、お母さんとお父さんの保護と愛の懐である腹中で育ち、二十歳まで分別なしに父母から大切に育てられ、汚い物を汚い物であることを忘れて、すべてを喜んで消化させられる愛の中で成長してから愛の相対者に出会い、互いのために天理の愛に接ぎ木されなければなりません。

  そのような人生路程を行きながら、神様の愛がどのようなものかということを体験すれば、神様の対象愛の実休園が完成するので、息子・娘を産んで愛するようになるのです。

  この世に生まれた人間は、胎児期のお母さんのおなかの中に比喩される宇宙での生を生きているのです。一言で言って、お母さんの懐のような宇宙で、人間百年の生涯を生きているのです。胎児がお母さんのおなかとは違う人間の世界を知らなかったように、今日地上世界で生きている人間たちは、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいるのです。お母さんのおなかの中では人間世界について分からなくても、実在として人間世界があったように、死後の世界もあることだろうと、ただ漠然とした心証をもっているだけなのです。

天暦11月18日(2012年12月30日)

 説教『今は天宙的善悪の交差点』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第四章 愛を中心とした人生行路

 六 愛の中心を求めていく人生行路

   人間は愛によって生まれ、父母の愛の中で大きくなり、横的に愛を広めながら成熟するようになります。横的な愛は異性の相対に出会うと、一段階愛を完成するようになり、天地の愛を代表することのできる基準に人れば、その実を結んで子供を身ごもるようになるのです。子供は、核心的な心情の立場から生じた愛の結果として生まれるようになります。

  男性と女性が心情的に愛し合って生まれた息子は、愛の核心に通じる道をつくってくれ、その中心を通過すれば、まさに神様と出会うようになるのです。人間は愛の実として子供を身ごもることによって、神様が万物を創造し、人間を創造されたときの愛を体恤するようになるのです。

  また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子供を愛してみることによって、父母の心情を体恤するようになるのです。父母が子供に注いできた愛は物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が変わっても、歴史時代が変わっても変わらないのは、父母が子供に与える愛です。父母になって子供を愛することによって、神様が人間をどのように愛してこられたのかを考えることができるようになり、体験を通して確認するのです。

  父母になって子供を愛することによって、父母が私をどのように、どのくらい愛じてくれたのかを感じて悟るようになります。そして老いた父母に対して、さらに敬い、心から孝行の道理を立てるようにするのです。そのようにできなければ、父母としての自覚がないだけでなく、子供に対する愛も偽善だといわざるを得ないでしょう。

  人間は父母になり、子供を愛してみることによって、神様が人間をどれだけ愛してこられたのかを感じて悟るべきでしょう。また、神様をいっそう心から愛すべきでしょう。子供に対する愛よりも、老いた父母をもっと愛さなければならないし、老いた父母に対する愛よりも神様をもっと愛さなければならないのが、愛の秩序であり、法度であることを知るべきでしょう。

天暦11月11日(2012年12月23日)

 説教『神様に似た者となれ』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第四章 愛を中心とした人生行路

 五 愛と喜びの相続のための神様の祝福

   神様において、一番の栄光の時は、肉(体)を使うことのできる時です。その次には、愛することのできる人(夫婦)をもつ時であり、その次には、孫を愛することのできる時です。息子・娘より孫を愛することのできる時が、一層栄光の時だと見ます。

  ところで、神様がアダムを造っておいて、どんなによかったかということを、どのように教えてあげたでしょうか。「やあ! 私はお前を造って、こんなによかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子・娘を生むことによって教えてあげることができます。分かりますか。

  人は幼い時、父母の愛がどういうものかを知りませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができるようになれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるというのです。自分の父母が私を育てるときこのように愛してくれたなと、知るようになっています。

  それゆえ、子女が相対を得る日が栄光の日であり、その次には、その息子が子女を得る日が栄光の日です。

  神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ろうとしなければならず、夫の愛を知り、夫に侍ろうとしなければなりません。子供の愛を知り、子供に侍ろうとしなければなりません。子供に命令をするだけではなく、侍ってみようともしなければなりません。理解しようともしなければなりません。そうしてこそ、神様の愛が理解できます。

  子供がいなくては、未完成状態です。神様の愛を知ることができません。神様が子供としての人間を、どれほど愛したのか分かりません。また、夫になってみなくては妻が分からず、妻になってみなくては夫が分かりません。子供も、父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分かりません。ですから、息子・娘がいなければ、真なる夫婦となれません。

  父母が子供の結婚を願うのは、子供たちに父母の愛をすべて相続させてあげたいし、伝授してあげたいからです。父母は死んでいきながら、後孫にその実体を残しておきます。ですから、後孫が必要なのです。

天暦10月19日(2012年12月2日)

 説教『基元節の摂理的意義』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第四章 愛を中心とした人生行路

 二 愛を中心とした創造本然の人生

   人間というものが存在するようになった原因は何でしょうか。人間は愛から始まったのです。それでは、人間存在の目的はどこにあると考えますか。人間という存在の目的は愛の理想を完成することです。人間が愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を成して、拡張させ、連結して完成することが目的となるのです。

  すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そうしながら、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後・左右・上下に連結させることができなければなりません。  私たちがいくら絶対的な存在を確定し、いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしくなければ何の役にも立ちません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活するのは目的のためにするのです。その目的を成就したとき、そこには存在、それ自体以上の新しい何かがあることでしょう。それは何でしょうか。

  男性なら男性、女性なら女性を中心として見るときに、彼らに何よりも最も貴いものは何でしょうか。愛です。愛だけがこれと連結させることのできる幸福の要因となるのです。人が目的をいくらよく立てたとしても、その目的を主管すべき主体的な愛の権威を立てられないようになるときには、再び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が愛より上にはなり得ないのです。

  皆さんは何ゆえに生きていますか。食べるためにと答える人もいるでしょうし、あるいは仕事をするために、または何の目的もない生を生きているという人もいるでしょう。人間は何のために生きるのでしょうか。愛のために生きるというなら、どれほどすてきな答えかというのです。人間は愛の結実として生まれ、愛し合いながら生き、永遠なる愛の神様の懐に帰るようになっているのが、創造本然の生なのです。

天暦10月5日(2012年11月18日)

 説教『私を見た者は、父を見たのである』 

訓読:【 聖書 】 

聖句 ヨハネ14章6節〜10節

   イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

 

真のお父様が聖和されてから21日目の早朝に下さった真のお母様のみ言

   皆さん、私たちの統一教会をこれからは生き生きと息づく草創期の教会として作っていくつもりです。数字や制度に束縛されずに、より自発的で創意的な、躍動する教会として発展させていくでしょう。いつでも行きたくて留まっていたい私たちの家、暖かいお母さんの懐のような、原理と愛を中心とした教会に作っていきます。草創期のように、いつも教会から原理講義の声が絶えないように作っていきます。皆さん全員が毎日毎日行うことに感謝しながら、祝福を受ける人となり生涯で最大の実績を捧げて下さい。基元節まで余り残っていません。そのような皆さんとなるように、もう一度お願い致します。

天暦9月28日(2012年11月11日)

 説教『天一国国民として基元節入籍は最高の祝福であり栄光である』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第四章 愛を中心とした人生行路

 一 人間はなぜ生まれたのか

   生命が先か、愛が先かというとき、互いに先だということができますが、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在起源に先立って愛の流通がなくては、存在価値が出てくることができません。

  私たちの生命の起源がどこなのかを見るとき、生命が先か、愛が先かが問題です。今までこれを見分けられませんでした。生命が先ではなく、愛が先です。先となったものの前に、次となったものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当たり前なのです。このように、これは収拾しておかなければなりません。そうすれば、人生を真に生きる道はどこなのかという結論が出てきます。

  生命が愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、ひいてはわが父母が公認できる大宇宙愛の中に現れ、その中で愛し、死んでいくのが人間が生まれた目的だと見るのです。

  人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それなら、お父さんとお母さんの希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の身代わりである父母の愛を通して生まれたのです。神様の身代わりである父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが「私」です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛のすべてを受けて、全天宙の中心的な存在として生まれたのがまさに「私」です。

  愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生において最高の目的です。自分の家庭で、天宙の中心である愛の使命を果たすことが最も価値あることです。人がなぜ生まれたかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は、愛のために生まれました。また、愛から生まれました。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは生命の源泉であるからです。

天暦9月21日(2012年11月4日)

 説教『責任分担を完成すれば、お父様が主管する』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 八 家庭は天宙主義を完結させる最終基準

   すべてのものは一つから多くのものに分かれて結局一つの大きなものに統合されます。すなわち一つからいくつかに分かれてから一つに統合されるのです。ここでまた分かれてより大きなものになるのです。そこには家庭がありますが形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦を成したところであり、その夫婦を一つにするところです。氏族は家庭を一つにするところであり、民族は氏族を一つにするところです。民族が集まって一つの国家の前に全部入ります。ここにおいてはどこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開させれば横的な世界になるのです。ですからどのような社会であったとしても家庭を除くことはできないのです。
 家庭を復帰することができなければ世界を復帰することができません。その次にはその家庭を中心として天宙主義を成就しなければなりません。天宙は天と地を総合したものです。天と地は人間において心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの相対が必要なように一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つになるのが家庭です。この一つの家庭を中心にしなければ神様の愛の基盤が定まりません。
 天宙主義というのは心と体を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を築いてその理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の宙という字は家を意味する字です。家を表す宙です。ですから天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちは家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれなければ天宙主義とは関係がないのです。家庭が天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌うことができず幸福をたたえられない人はこの地上でも霊界に行っても不幸な人になるのです。
 天国はどこから成されるのでしょうか。私たちの家庭から成されます。では私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は天の字に家を意味する宙の字、すなわち天の家主義だというのです。このようになってこそ天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻はすべて理想的な家庭を願ったみ言です。

天暦9月14日(2012年10月28日)

 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 七 人間の永遠の本郷は家庭

   家庭、家庭はいいところです。どうしていいのでしょうか。お母さんとお父さんがいるからいいところであり、お姉さんとお兄さんがいるからいいところであり、弟妹がいるからいいところであり、親戚がいるからいいところなのです。ですから人間なら誰でも本郷の地、故郷を懐しがる郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷にもっと想いを馳せます。大韓民国で暮らしながらも懐しがるところが故郷です。大韓民国が好きで大韓民国に住みたく思いながら、また大韓民国で暮らしながらも懐かしいところはどこでしょうか。故郷です。故郷。故郷なのです。

  故郷はどのようなところでしょうか。私の心情を四方に、立体的に全部引き上げるところです。その心情とは何でしょうか。愛で結びつけるものです。上には父母が結びつけられ、左右には夫婦の因縁が結びつけられ、下には子女、親戚が立体的な愛で堅く結びつけられているところが本郷です。人は愛を中心とした幸福の基点を最高に望むので本郷を慕わざるをえないのです。

  では神様の本郷はどこなのでしょうか。この地球星において神様の本郷の地はどこなのでしょうか。これは考えなければならない問題です。愛の神様ならこの地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですがその基点はどこでしょうか。それを知るためには神様がその基点を準備するためにどのようにしてこられたのかを知らなければなりません。

  神様の家庭を準備することのできる本郷の基点になりうるところはどこなのでしょうか。他のところではありません。神様を本当の父だと思う息子がいるところです。すなわち、神様の愛を独占することのできる息子、ひとり子がいるところです。またそのような娘がいるところです。そうしてその息子・娘が結婚して完全な家庭を築くところです。

  ではその本郷の地には誰がいなければなりませんか。見たい人たちがいなければなりません。父母がいなければならないし、兄弟がいなければなりません。また会いたい方がいなければなりません。またそこにはいっしょに住みたいしいっしょに住みたいのに一瞬会うだけでいいでしょうか。ちょっとだけ会って済むでしょうか。彼らに会って彼らと共に住むにおいては永遠に永遠にいっしょに住んでも嫌になってはいけません。そのようなところを探していかなければなりません。そこが今日、宗教で目指す天国なのです。

天暦9月7日(2012年10月21日)

 説教『教育理念』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 六 家庭は心情的な訓練場所

   私たちは心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもったとしても心情的な喜びを表せるところがなければ生きられません。自分が率いる人たちや閣僚たち、あるいは追従する人たちには心情的な満足を感じることができません。それは家庭で感じなければなりません。
 家庭に帰ってきて夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じることができなければなりません。そうしてその喜びを他の人に誇ることができなければなりません。その喜びは第一次的な喜びであって二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても家庭のない神様は喜ぶことができないのです。結局、家庭がなければならないのです。
 家庭では父母を中心としなければならないし、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。では、学校は何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させるのです。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会においての実験的な訓練所です。
 社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのでしょうか。国に帰結します。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、それからどこに行くのかというと、もっと大きなところに行くのです。
 大統領といえば蘇生、長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用をして分かれます。分かれてここで統合され花が咲き実を結ぶのです。ですから学校も国のための貴重な棟梁、人材を養成し国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強とは何でしょうか。訓練です。ですから学校は訓練場所、実験場です。訓練は実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはなりません。

天暦8月29日(2012年10月14日)

  「One Family Under God 祝祭」秋の野外礼拝 

  毎年恒例となった秋の野外礼拝、朝8時半から準備を始め、天気も良好で気持ちよくスタートをきりました。

打ち合わせ 準備 準備

  10時半から11時まで小金井公園の清掃活動を行いました。

受付 清掃活動 清掃活動

清掃活動 清掃活動 清掃活動

  教区長のみ言を受けたあとは、幼児と小学生全員にプレゼント。

聖歌隊 説教 子供にプレゼント

  礼拝後、中高生の二世たちによる出し物。

二世の出し物 二世の出し物 二世の出し物

  じゃんけんゲームはハワイのコナコーヒーをかけて大変な盛り上がりでした。

じゃんけんゲーム じゃんけんゲーム じゃんけんゲーム

  壮年部が中心となってバーベキューが行われました。

バーベキュー バーベキュー バーベキュー

  最後になって少し雨が降りましたが、トラブルもなく無事に野外礼拝を終えることができました。

天暦8月22日(2012年10月7日)

 説教『40日礼拝のための特別精誠を捧げましょう』 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 五 家庭は三時代の愛が結集した核心体

   歴史を抱き、時代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから神様が今まで六千年を経ながら求めてきた最後の基点は何でしょうか。家庭です。その家庭は愛が連結された、愛によってすべてが結束された家庭です。存在するすべてのものはみなこれに主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛との関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが神様が創造当時にアダムとエバにくださった本来の使命ではなかったのでしょうか。

  神様は男性アダム、女性エバとして終わるのではなく互いに結合した新しい家庭を夢見られたのです。これが神様が男女を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから家庭を求め、家庭圏内で神様の愛を中心としてこの世で充足感を感じることのできる境地に入って生きてこそ天国も無事に通過するのです。そうしてこそ、この世界も切り抜けられます。

  愛の家庭園を形成するためには絶対的でなければなりません。父母は歴史に代わることができるものであり、夫婦は時代に代わることができるものであり、子女は未来に代わることができるものです。自分が一つの時代で一人の相対を愛することは、神様が世界に対されるのと同じことです。ここで父母と夫婦と子女が一致し、天宙を代表して私たちの愛を見習いなさいと言うことができるし、後孫たちに対して私たちに従いなさいと言うことができるし、内心や外心で主張できる心の本郷、天情が通じるそこは天地に記憶されることでしょう。

  今まで神様は何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様に似て、ご自身がつくられた世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点が何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表することができるものがないのです。

  父母と一つになることは歴史と現実が出会うことです。ここで「私」は父母を愛することで過去を愛することができるし、相対を愛することで現実を愛することができるし、子女を愛することで未来を愛することができます。ですから私は、三時代の愛を体験することができるのです。三種類の愛が結集した核心体がまさに家庭です。

天暦8月15日(2012年9月30日)

 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 四 家庭は天国の模型教科書

   子女の立場にいる人はどんな運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は過去の生きた歴史を代表します。その次に父母は現在を代表します。それから子女たちは未来を象徴します。そこには東西も入っているし、南北も入っています。そして全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものです。

  ですからおじいさんを愛しおじいさんを尊敬するのは過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶことです。お父さんからは現在を学ぶのであり、子女を愛することは未来を学んでいくことです。おじいさんとおばあさん、お母さんとお父さんを通じて何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。おじいさんとおばあさんは年を取っていますが二人が真の愛に一つになっており、お母さんとお父さんが一つになっているので私たちもあのようになって未来を引き継ごうというのです。ですから絶対に真の家庭にならずしては未来を引き継ぐことができないのです。

  家庭のこの三つを見る時、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。動物世界を見ても雌を愛し雄を愛しますがこれは宇宙の愛を学ぶことのできる教科書です。おばあさんがいなければ不安定です。おじいさんがいなくても不安定で、どちらがいなくても同じです。このようになればそのまま天の国へ移っていくのです。祖父母、父母、子女がそのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に行くのです。その模型教科書が家庭です。

  家庭は天国をつくることのできる教材です。天がつくっておいた教材です。世界にいるおじいさんの年齢の人をみな自分のおじいさんのように愛すればその人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛すればどこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線ができないのです。万国の若者を自分の子女だと思う心をもてば彼は十二の真珠門があり方向があっても天国のどこでも通じるのです。ですから家庭というのは天国と因縁を結ばせるための教材です。

天暦8月8日(2012年9月23日)

 

訓読:【天聖経】 「真の家庭」

第三章 家庭は天国の中心模型

 三 愛の王国に入籍するための愛の訓練場

   愛の王国を実現したいのが神様のみ意です。愛の理想世界を発展させ世界化させようとするのが神様のみ意だというとき小学校卒業から大学の学士・博士卒業までパスすることのできる実験場がどこかといえば家庭です。  家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見てみるとおじいさんとおばあさんが住む世界、それからおじさんとおばさんが住む世界、兄さんと姉さんのような人たちが住む世界、青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界があります。ですから老年から壮年、中年、青年、少年たちが住むここが、形が大きいだけであり数が多いだけであって家庭を拡大させたものです。

  家庭は天国に入ることのできる最小単位の修練所であり、教材です。そこにはおしいさん級、お母さん級、夫婦級、兄弟級が皆あります。これをおじいさんとおばあさん、あるいはお母さんお父さんの年齢、その次には自分の年齢、息子・娘の年齢に拡大させたのが世界人類です。この人類を自分の妻のように愛し父母のように愛し、息子・娘のようにために生きることのできる家庭だけが天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様がつくられた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあるのです。

  家庭は死ぬとき天の国や平和の王国に入籍する手続き権を得ることのできる愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。この家庭を拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんとお母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子・娘のような世界があるというのです。これを拡大すればそのまま世界になるというのです。ですから自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように全世界の人々を愛すればそれが天国にまっすぐ行く道になるのです。

  したがって「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよ」というのが第一の戒めです。第二は「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というものです。神様を愛し人類を愛せばすべて終わるのです。それができなければいくら修養しても意味がありません。宗教でいくら修業を積んだとしても神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、全宇宙を愛することを知らないならばすべて落第になるのです。